現在は、メーカーで働いております。
製造現場にいます。
大量生産なので、一歩間違ったら損害も甚大です。
そのため、製造現場は緊張感があります。
毎日が同じというわけではなく、変動する事象に対して、
調整を行いつつ仕事を行っています。
トラブル時には、すぐに定常状態に復旧する必要があります。
一瞬の判断が必要です。現状で取り得る最善の策は何であるか。
自分はまだまだですが、そういった緊張感のある中で、
瞬時の対応ができるようになれるよう、日ごろから知識をつけながらも
トラブル時にいかに冷静に動く事の必要性を感じています。
あながち、度胸が一番大事かも。
自分の存在意義を感じてもらえるように、頑張るのみです。
2008年7月5日土曜日
研修中★
社会人、一年目。想像以上に忙しい毎日を過ごしています。
大学院での研究では、日付が変わる事もあり、社会人より
忙しい日々を過ごしているはずだと思い込んでいました。
実際のところは、明らかに今の方が断然疲れています。
早く帰宅してもすぐに寝てしまうし始末。
それだけ、時間あたりの労力が大きいのだと思います。
集中力が違います。プレッシャーが違います。
今思えば、大学時代は、なんてのんびりしていたのだと
自分の考えの甘さに気付かされる毎日です。
しかし、現在の環境を嘆いているのではなく、恵まれている
と思っています。上司は厳しいですが、その言葉は、
論理的で納得のいく事ばかりです。
特に強調されるのは、何故そうであるのかを考える事。
物事の原理・原則を理解し、自分の言葉で語れる事。
そうして始めて、知識、知恵となり、応用力につながるのだと
感じさせられました。
自分でできる事と、先輩から伸ばしてもらう事と両方が
重要です。自力と他力。
成長させてもらっていることを実感しています。
日々勉強、日々感謝です。
大学院での研究では、日付が変わる事もあり、社会人より
忙しい日々を過ごしているはずだと思い込んでいました。
実際のところは、明らかに今の方が断然疲れています。
早く帰宅してもすぐに寝てしまうし始末。
それだけ、時間あたりの労力が大きいのだと思います。
集中力が違います。プレッシャーが違います。
今思えば、大学時代は、なんてのんびりしていたのだと
自分の考えの甘さに気付かされる毎日です。
しかし、現在の環境を嘆いているのではなく、恵まれている
と思っています。上司は厳しいですが、その言葉は、
論理的で納得のいく事ばかりです。
特に強調されるのは、何故そうであるのかを考える事。
物事の原理・原則を理解し、自分の言葉で語れる事。
そうして始めて、知識、知恵となり、応用力につながるのだと
感じさせられました。
自分でできる事と、先輩から伸ばしてもらう事と両方が
重要です。自力と他力。
成長させてもらっていることを実感しています。
日々勉強、日々感謝です。
2008年4月17日木曜日
玄米食
今、海外で玄米菜食が積極的に取り入れられています。日本食が海外で注目されるようになって久しいが、最近では、玄米食が静かなブームとなっているのである。
ご存知のように、玄米は、稲の果実である籾から籾殻を除去した状態で、玄米を精白すると白米となる。この過程で、胚が取り除かれるが、ここに多くの栄養素が含まれている。玄米は、ビタミンやミネラルを豊富にバランスよく含み、白米の4倍とも言われている。
玄米は、種子としての機能を有し、播種すれば芽が出る。それだけ玄米の中にはたっぷりとエネルギーが蓄えられているということだ。ゆえに病気と戦い、また健康を維持するための食事として、玄米食が勧められてきている。その栄養素について簡単に紹介する。
玄米にはビタミンB群(B1、B2、ナイアシン、パントテン酸など)やビタミンEといった重要なビタミンが豊富に含まれている。ビタミンB1やB2は、ブドウ糖や脂肪を燃やしてエネルギーを得るときに欠かせないビタミンである。玄米を食することで、体内で効率的にエネルギーを生産することができ、疲れにくくなりる。
ビタミンEは「不老のビタミン」と言われており、活性酸素・フリーラジカルによる体内組織の変質を妨ぎ、老化を予防するため。活性酸素やフリーラジカルは、ガン、心臓病、アレルギー性疾患、ボケ等々の現代病の原因ともなります。ビタミンEはこの活性酸素の変質を防ぐ。ただしビタミンEは、その過程でビタミンE白体がフリーラジカルになって不安定になってしまう。この不安定化されたビタミンEを安定化するのが、ビタミンCであり、玄米のビタミンC含有量は少量なので、果物や野菜などで毎食適度にビタミンCを摂取することは必要となる。
また、玄米は白米よりも多くの食物繊維を含む(8.8倍)。これは、特に糠に含まれおり、様々な生理作用を有す。まず、胃に到達すると、水分を吸収し膨張し、これにより、満腹感が得られるとともに胃腸内の動きが活性化される。そのため、食事量を減らすことができ、ダイエットにもつながるのだ。
さらに、食物繊維は便のカサ(量)となるため、腸内の便の移動~排便までの流れをスムーズにして便秘を解消する。玄米は、食物繊維を多く含むため、消化に時間がかかかる。玄米はよく噛むことでふくよかな甘みが増し、栄養素が体に十分吸収されるので、よく噛むことで消化を助けることができる。
このように、玄米は、栄養素がバランスよく含まれており、健康維持に極めて威力を発揮するということが、世界で注目されてきている。日本人は、弥生時代(約3000年前)から玄米を主食に食べてきた。しかし、江戸時代(約300年前)に精米の技術が発達すると、次第に日本人は白米を食べるようになった。アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、ベトナムなどが「玄米菜食」を積極的に取り入れている反面、伝統食としていた日本が玄米よりも白米を好んでいることは残念なことである。
玄米により、日本人独特の精神と、小さいながらも強靭な肉体を手に入れることができたといってもよいのかもしれない。玄米を食べない現代の日本人は、かつて「大和魂」と表現された独特の強い精神を失い、誇りもプライドも弱くなってしまったのかもしれない。
ご存知のように、玄米は、稲の果実である籾から籾殻を除去した状態で、玄米を精白すると白米となる。この過程で、胚が取り除かれるが、ここに多くの栄養素が含まれている。玄米は、ビタミンやミネラルを豊富にバランスよく含み、白米の4倍とも言われている。
玄米は、種子としての機能を有し、播種すれば芽が出る。それだけ玄米の中にはたっぷりとエネルギーが蓄えられているということだ。ゆえに病気と戦い、また健康を維持するための食事として、玄米食が勧められてきている。その栄養素について簡単に紹介する。
玄米にはビタミンB群(B1、B2、ナイアシン、パントテン酸など)やビタミンEといった重要なビタミンが豊富に含まれている。ビタミンB1やB2は、ブドウ糖や脂肪を燃やしてエネルギーを得るときに欠かせないビタミンである。玄米を食することで、体内で効率的にエネルギーを生産することができ、疲れにくくなりる。
ビタミンEは「不老のビタミン」と言われており、活性酸素・フリーラジカルによる体内組織の変質を妨ぎ、老化を予防するため。活性酸素やフリーラジカルは、ガン、心臓病、アレルギー性疾患、ボケ等々の現代病の原因ともなります。ビタミンEはこの活性酸素の変質を防ぐ。ただしビタミンEは、その過程でビタミンE白体がフリーラジカルになって不安定になってしまう。この不安定化されたビタミンEを安定化するのが、ビタミンCであり、玄米のビタミンC含有量は少量なので、果物や野菜などで毎食適度にビタミンCを摂取することは必要となる。
また、玄米は白米よりも多くの食物繊維を含む(8.8倍)。これは、特に糠に含まれおり、様々な生理作用を有す。まず、胃に到達すると、水分を吸収し膨張し、これにより、満腹感が得られるとともに胃腸内の動きが活性化される。そのため、食事量を減らすことができ、ダイエットにもつながるのだ。
さらに、食物繊維は便のカサ(量)となるため、腸内の便の移動~排便までの流れをスムーズにして便秘を解消する。玄米は、食物繊維を多く含むため、消化に時間がかかかる。玄米はよく噛むことでふくよかな甘みが増し、栄養素が体に十分吸収されるので、よく噛むことで消化を助けることができる。
このように、玄米は、栄養素がバランスよく含まれており、健康維持に極めて威力を発揮するということが、世界で注目されてきている。日本人は、弥生時代(約3000年前)から玄米を主食に食べてきた。しかし、江戸時代(約300年前)に精米の技術が発達すると、次第に日本人は白米を食べるようになった。アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、ベトナムなどが「玄米菜食」を積極的に取り入れている反面、伝統食としていた日本が玄米よりも白米を好んでいることは残念なことである。
玄米により、日本人独特の精神と、小さいながらも強靭な肉体を手に入れることができたといってもよいのかもしれない。玄米を食べない現代の日本人は、かつて「大和魂」と表現された独特の強い精神を失い、誇りもプライドも弱くなってしまったのかもしれない。
2008年4月7日月曜日
社会人★
4月から、社会人になりました。
やっと社会人です。大学院を卒業したので、もう25歳です。
一週間の新人研修を終え、いよいよ本格的に社会人生活が始まります。
やはり学生の頃と大きく異なるのは、会社から給料をもらっているという事。
お金をもらっている以上、それに応えられるような仕事をしたいし、
しなければならないと考えています。
そのためには、ビジネスパーソンとしてのマナー等の基本的な事はもちろん、
自分でしか生み出せない価値を創造し、会社の更なる発展へと貢献したい。
先駆的な仕事をすることが、自分の成長にもなり、それが会社の成長になる。
常に、他の人が想像もつかないような仕事をし、自分の存在価値を高めたい。
そうすることで、会社の発展、更には、社会の、そして日本の発展につながる
よう精進していきたいです。
決意表明でした。
やっと社会人です。大学院を卒業したので、もう25歳です。
一週間の新人研修を終え、いよいよ本格的に社会人生活が始まります。
やはり学生の頃と大きく異なるのは、会社から給料をもらっているという事。
お金をもらっている以上、それに応えられるような仕事をしたいし、
しなければならないと考えています。
そのためには、ビジネスパーソンとしてのマナー等の基本的な事はもちろん、
自分でしか生み出せない価値を創造し、会社の更なる発展へと貢献したい。
先駆的な仕事をすることが、自分の成長にもなり、それが会社の成長になる。
常に、他の人が想像もつかないような仕事をし、自分の存在価値を高めたい。
そうすることで、会社の発展、更には、社会の、そして日本の発展につながる
よう精進していきたいです。
決意表明でした。
2008年2月19日火曜日
修士論文終了
修士論文を提出し、あとは、卒業を残すのみ。
なにもかもがギリギリだった。
もう少し余裕を持ちたいものだ。
修士論文というのは、卒業論文でもそうだが、
書こうと思えば、どれだけでも書ける。
最初の、紹介の文(緒言)を詳しくしたり、
他の論文等を参考にして、詳細に考察することもできる。
自分の実験結果に対して、様々な人の考えを取り入れながら、
自分なりの考察を練り上げていく。
その過程で、自分自身の研究への知識が増え、深まりがでる。
私自身、正直時間が足りなかった。形にするまでには至ったが、
もう少し、じっくりと考察を加えたかった。
人によっては、あっさりと仕上げてしまう人もいる。
どうゆう理由であるか分からないが、ある程度のレベルで
満足してしまうのだろう。
私は、とことんやり通したいという気持ちがあるので、
時間は、いつまであっても足りない。
どちらがいいとは言わない。
性格の問題だろう。
ただ、私は、そういう人たちにとっては、損な性格なのかもしれない。
しかし、やれる事は限界までやり抜くというのが私の信条なので、
自分自身では、満足だ。身体だけには気をつけたいと思うが。
社会人まで、しばらく休憩。
ゆっくり過ごしたいと思う。
どうせ、社会人になったら、遮二無二働くだろうから。
一ヶ月、海外に行くので、ブログはお休みです。
なにもかもがギリギリだった。
もう少し余裕を持ちたいものだ。
修士論文というのは、卒業論文でもそうだが、
書こうと思えば、どれだけでも書ける。
最初の、紹介の文(緒言)を詳しくしたり、
他の論文等を参考にして、詳細に考察することもできる。
自分の実験結果に対して、様々な人の考えを取り入れながら、
自分なりの考察を練り上げていく。
その過程で、自分自身の研究への知識が増え、深まりがでる。
私自身、正直時間が足りなかった。形にするまでには至ったが、
もう少し、じっくりと考察を加えたかった。
人によっては、あっさりと仕上げてしまう人もいる。
どうゆう理由であるか分からないが、ある程度のレベルで
満足してしまうのだろう。
私は、とことんやり通したいという気持ちがあるので、
時間は、いつまであっても足りない。
どちらがいいとは言わない。
性格の問題だろう。
ただ、私は、そういう人たちにとっては、損な性格なのかもしれない。
しかし、やれる事は限界までやり抜くというのが私の信条なので、
自分自身では、満足だ。身体だけには気をつけたいと思うが。
社会人まで、しばらく休憩。
ゆっくり過ごしたいと思う。
どうせ、社会人になったら、遮二無二働くだろうから。
一ヶ月、海外に行くので、ブログはお休みです。
2008年2月16日土曜日
天下り
官僚の天下りについての議論は、今日に始まったものではないが、
この前、友人と少し議論になった。
私は、天下り否定論者である。
確かに、癒着や談合等がないと、日本の政治、経済は
成り立たない部分もあるのかもしれない。
ある程度は、仕方ないが、許容範囲というものがある。
不必要に天下りさせるのは、どうしたものか。
独立行政法人にしても、まったく必要ないものが数知れず存在する。
今後、借金大国の日本の未来は目を覆うばかりである。
無駄遣いしている余裕はない。僕らの目の前に広がるのは
輝かしい未来であってほしい。。。
一方。私の友人の意見はというと
官僚は、若い頃は安い給料で死ぬほど働くんやし、
年取ってから、それだけの報酬を得てもいいんじゃないか。
むしろ、もっと優遇してあげないと、優秀な人が官僚にならなくなる。
官僚が無能だったら、それこそ日本はダメになる。
まったくもって正論である。
日本は、官僚が国を動かしているといっても過言ではなく、
彼らが優秀でなければ機能しない。
しかし、理想をいえば、お金なんて関係なく、
公僕としての職務を全うしてほしいと願う。
かつて、武士が主君のために命をかけたように。
自らの誇りをかけて。
官僚は尊い仕事だと思う。一般人には出来ないのである。
この日本の国民を守るためにあるもの。
人々が少しでも、快適に暮らせるよう。
1人でも多くの人が幸せになれるよう。
尊い仕事。
私も目指すべきであったのかもしれないが、
そう簡単にはなれない。優秀でなければならない。
一部の優秀な人が官僚として、日本を動かしている。
私情を挟まず、国のために一生懸命働いてほしいものだ。
たとえ、どんなに苦しくても、人々が少しでも幸せになれるように
そんな気持ちで働いているのであれば
国民の血税からふんだくるような事は起きない。
この沈没寸前の日本で、官僚の方々には、
ぜひとも襟を正して、誇りを持って働いてほしいものである。
かつての忠義の士のように。
この前、友人と少し議論になった。
私は、天下り否定論者である。
確かに、癒着や談合等がないと、日本の政治、経済は
成り立たない部分もあるのかもしれない。
ある程度は、仕方ないが、許容範囲というものがある。
不必要に天下りさせるのは、どうしたものか。
独立行政法人にしても、まったく必要ないものが数知れず存在する。
今後、借金大国の日本の未来は目を覆うばかりである。
無駄遣いしている余裕はない。僕らの目の前に広がるのは
輝かしい未来であってほしい。。。
一方。私の友人の意見はというと
官僚は、若い頃は安い給料で死ぬほど働くんやし、
年取ってから、それだけの報酬を得てもいいんじゃないか。
むしろ、もっと優遇してあげないと、優秀な人が官僚にならなくなる。
官僚が無能だったら、それこそ日本はダメになる。
まったくもって正論である。
日本は、官僚が国を動かしているといっても過言ではなく、
彼らが優秀でなければ機能しない。
しかし、理想をいえば、お金なんて関係なく、
公僕としての職務を全うしてほしいと願う。
かつて、武士が主君のために命をかけたように。
自らの誇りをかけて。
官僚は尊い仕事だと思う。一般人には出来ないのである。
この日本の国民を守るためにあるもの。
人々が少しでも、快適に暮らせるよう。
1人でも多くの人が幸せになれるよう。
尊い仕事。
私も目指すべきであったのかもしれないが、
そう簡単にはなれない。優秀でなければならない。
一部の優秀な人が官僚として、日本を動かしている。
私情を挟まず、国のために一生懸命働いてほしいものだ。
たとえ、どんなに苦しくても、人々が少しでも幸せになれるように
そんな気持ちで働いているのであれば
国民の血税からふんだくるような事は起きない。
この沈没寸前の日本で、官僚の方々には、
ぜひとも襟を正して、誇りを持って働いてほしいものである。
かつての忠義の士のように。
2008年2月1日金曜日
修士論文
現在、修士論文を執筆中である。データの整理やグラフの作成等、地味な作業が多いが、実験ばかりしていた自分には、デスクワークも悪くない。というより、好きなのかも。手を動かすのも悪くないが、どちらかといえば、頭を使った仕事をしたい。自分の脳のいつもとは違う部分を使用しているようで、刺激的である。
私は、どちらかというと理系人間なので、データ整理や、数式を解く事は好きである。しかし、文章を書くのはあまり得意ではない。断片的な情報を紡ぎ合わせ、一つの結論を導くということに長けていない。どうしても、おのおの個々でしか捕らえられず、なかなか点と点が線にならない。そのため、紙に落とし込むときも、まったく筆がすすまなかったり、書けても、うまく表現することができなかったりする。
大学の研究室には、数理的な事に優れているだけでなく、文章作成力、プログラミング等、様々な能力を同時にあわせ持つ人がいる。そういった人が、次期に教授となるのであろうが、その優秀さには、ほとほと感心させられる。当然、仕事も速い。速さだけが重要だとは思わないが、ある程度のスピーディーさは欠かせない。私にとっては、大変だと思う仕事もさらっとこなしてしまう。
私の場合、一つの事をやるにせよ、時間がかかる。よく言えば、熟考しているからといえるかもしれないが、できれば、早くしたい。
何故、仕事が遅いのか。まず、身構えてしまう。したくないなという感情が先行する。これくらいの仕事だと、時間はこれくらいかかるなと、勝手にハードルを上げてしまう。活性化エネルギーが極めて高い状態だ。そのような状態はよくない。優秀な人はさらっと仕事を終えてしまうと、先ほども記述したが、そのような人は、仕事を苦と思ってないのか。むしろ、仕事をこなす事に喜びを感じているようである。
やはり、心の持ちようか。いつも、こんなのは、簡単な仕事だと言い聞かせながら取り組んでいるつもりなんだが。何事にも楽しめるという性格は、活性化エネルギーを下げるよい触媒作用を有しているのかもしれない。
私は、どちらかというと理系人間なので、データ整理や、数式を解く事は好きである。しかし、文章を書くのはあまり得意ではない。断片的な情報を紡ぎ合わせ、一つの結論を導くということに長けていない。どうしても、おのおの個々でしか捕らえられず、なかなか点と点が線にならない。そのため、紙に落とし込むときも、まったく筆がすすまなかったり、書けても、うまく表現することができなかったりする。
大学の研究室には、数理的な事に優れているだけでなく、文章作成力、プログラミング等、様々な能力を同時にあわせ持つ人がいる。そういった人が、次期に教授となるのであろうが、その優秀さには、ほとほと感心させられる。当然、仕事も速い。速さだけが重要だとは思わないが、ある程度のスピーディーさは欠かせない。私にとっては、大変だと思う仕事もさらっとこなしてしまう。
私の場合、一つの事をやるにせよ、時間がかかる。よく言えば、熟考しているからといえるかもしれないが、できれば、早くしたい。
何故、仕事が遅いのか。まず、身構えてしまう。したくないなという感情が先行する。これくらいの仕事だと、時間はこれくらいかかるなと、勝手にハードルを上げてしまう。活性化エネルギーが極めて高い状態だ。そのような状態はよくない。優秀な人はさらっと仕事を終えてしまうと、先ほども記述したが、そのような人は、仕事を苦と思ってないのか。むしろ、仕事をこなす事に喜びを感じているようである。
やはり、心の持ちようか。いつも、こんなのは、簡単な仕事だと言い聞かせながら取り組んでいるつもりなんだが。何事にも楽しめるという性格は、活性化エネルギーを下げるよい触媒作用を有しているのかもしれない。
2008年1月30日水曜日
千差万別
世の中には、当たり前だが様々な人がいる。背の高い人もいれば、低い人もいる。美男子もいれば、そうでないものもいる。世の中不公平にできている。でなければ、人類皆平等という言葉はないだろう。
不平等だからこそ、そのような言葉が生まれる。平等に扱われてない人、もしくは、慈悲深い人から発せられるその言葉に、悲壮感を感じるのは、私だけではない。
二極分離。今後、社会は、ますます二極化に向かうであろう。
優れた才能を持ち、それを生かしている人。巨万の富を得ている人。夢に向かって、突っ走っている人。こういった成功者は、一般市民から羨望のまなざしを持って見られるが、私も少しでもそういった人々に近づきたい。かくいう私も一般市民である。
かたや努力してもなかなか報われない人。明日への希望が見えない人。ひょんなことで人に騙されて、借金を背負わなければならなくなった人。今日生きることが精一杯の人。私は、そういう人を卑下できない。自分もなりうる可能性を秘めているから。人間万事塞翁が馬。なにが起こるかわからない。明日、一文無しになることもある世界。
できれば、自分も一粒の成功者になりたいと思う。
世の中、何故に、こんなにも格差があるのか。絶対的な差。埋めようのない差。そういった成功者は、確かに、努力をしているのだろう。エネルギーの注ぐべきところを熟知しており、一直線に成功への階段をひた走っているのかもしれない。そういった人たちは、きっと神に魅入られているのだろうと思う事もある。
自分は、そうではないかもしれないという考えが頭をよぎることがあるが、少しでも抗いたい。成功を信じて。世の中、不平等である。これは、紛れもない事実。かえようがない事実。自分の手でつかむしかない。
私は、自分の今の状況は、やはり自分に良くないところがあるからであろうと考える。私の前世が悪い事をしているから、この世で罪滅ぼしをしているのだ、と言い聞かせた事もあるが、どうも論理が飛躍している。
自分から少しでも負の感情を遠ざけたい。成功者=善人という方程式は成り立たないと思うが、そう思っている人は多い。私もそれを信じる一人かもしれない。悪い事はしない。人の事は悪く言わない。人の事を悪く思わない。打算的だが、そういったルールを自分の中につくり、少しでも良い運を引き寄せたい。少しでも、差が縮められるように。成功へ近づくために。
不平等だからこそ、そのような言葉が生まれる。平等に扱われてない人、もしくは、慈悲深い人から発せられるその言葉に、悲壮感を感じるのは、私だけではない。
二極分離。今後、社会は、ますます二極化に向かうであろう。
優れた才能を持ち、それを生かしている人。巨万の富を得ている人。夢に向かって、突っ走っている人。こういった成功者は、一般市民から羨望のまなざしを持って見られるが、私も少しでもそういった人々に近づきたい。かくいう私も一般市民である。
かたや努力してもなかなか報われない人。明日への希望が見えない人。ひょんなことで人に騙されて、借金を背負わなければならなくなった人。今日生きることが精一杯の人。私は、そういう人を卑下できない。自分もなりうる可能性を秘めているから。人間万事塞翁が馬。なにが起こるかわからない。明日、一文無しになることもある世界。
できれば、自分も一粒の成功者になりたいと思う。
世の中、何故に、こんなにも格差があるのか。絶対的な差。埋めようのない差。そういった成功者は、確かに、努力をしているのだろう。エネルギーの注ぐべきところを熟知しており、一直線に成功への階段をひた走っているのかもしれない。そういった人たちは、きっと神に魅入られているのだろうと思う事もある。
自分は、そうではないかもしれないという考えが頭をよぎることがあるが、少しでも抗いたい。成功を信じて。世の中、不平等である。これは、紛れもない事実。かえようがない事実。自分の手でつかむしかない。
私は、自分の今の状況は、やはり自分に良くないところがあるからであろうと考える。私の前世が悪い事をしているから、この世で罪滅ぼしをしているのだ、と言い聞かせた事もあるが、どうも論理が飛躍している。
自分から少しでも負の感情を遠ざけたい。成功者=善人という方程式は成り立たないと思うが、そう思っている人は多い。私もそれを信じる一人かもしれない。悪い事はしない。人の事は悪く言わない。人の事を悪く思わない。打算的だが、そういったルールを自分の中につくり、少しでも良い運を引き寄せたい。少しでも、差が縮められるように。成功へ近づくために。
2008年1月13日日曜日
講演会
大学の講演会に行ってきた。微生物に関する話から、大学のあり方まで、
とても印象深く、今の自分の状況を振り替えさせられた。
大学は、フロントランナーであるべきだ。自らが、最先端の研究を行い、
学問を創出していくという気概を持って、研究に取り組むべきだ。という話。
私は、理科系では、日本で有数の大学に通っている。それを意識しての講演内容だと
思うが、至らない気持ちで一杯になった。
というのも、我が研究室では、端からみた場合はどうか分からないが、個人的な見解でいえば、
決して最先端の研究をしているとはいえないのである。というのも、企業の下請けに成り下がっているのではないかと思う事がよくあるからだ。企業に依頼された事をこなすだけという状況に、疑問視せざるおえない。所詮、二番煎じに過ぎない。これでは、新しい学問が生まれるとは思えない。
産学連携といわれて久しいが、大学が企業に足元をみられているように思えてならない。
搾取されているといっても過言ではない。あの講演を聴いて、上の人たちはどう思っているのか。
私が知る由もない、複雑な事由が、そこにあるのかもしれないが。
確かに、フロントランナーとなるのは、とても難しいことである。誰も試みたことのない事に取り組み、学問を確立することの難しさは、容易に計り知る事ができよう。まず、研究テーマを考える事は難しい。どんなことに取り組めばよいのか。社会のニーズにもある程度応えないといけない。そして、成功する保証はない。新しい発見に至るまでには、多くの年月を要する事も少なくない。無駄に終わってしまう事もあるだろう。
そして、そういった研究は、概して、評価されない。ある程度の、成果を出さないと評価されないのである。そうすると、研究費がおりない。研究が続けられない。それゆえに、成果の出やすい、研究に甘んじてしまう。こうなると、到底、新しい学問等生まれない。最高学府としての名が泣く。
成果の出やすい研究と、最先端の研究を、上手く折り合いをつけながら、進めていけるとよいのかもしれない。演者は、大学で基金を作るべきだとも行っていた。確かに、独自に研究費を管理できれば、先進的な研究にもお金を割くことができるのだろう。
私は、博士課程には、進まず、企業に進むことを選択した。博士になる実力がない事もあるが、やはり、研究に将来性を感じなかったのも要因の一つである。夢のある研究に取り組みたいものだ。
とても印象深く、今の自分の状況を振り替えさせられた。
大学は、フロントランナーであるべきだ。自らが、最先端の研究を行い、
学問を創出していくという気概を持って、研究に取り組むべきだ。という話。
私は、理科系では、日本で有数の大学に通っている。それを意識しての講演内容だと
思うが、至らない気持ちで一杯になった。
というのも、我が研究室では、端からみた場合はどうか分からないが、個人的な見解でいえば、
決して最先端の研究をしているとはいえないのである。というのも、企業の下請けに成り下がっているのではないかと思う事がよくあるからだ。企業に依頼された事をこなすだけという状況に、疑問視せざるおえない。所詮、二番煎じに過ぎない。これでは、新しい学問が生まれるとは思えない。
産学連携といわれて久しいが、大学が企業に足元をみられているように思えてならない。
搾取されているといっても過言ではない。あの講演を聴いて、上の人たちはどう思っているのか。
私が知る由もない、複雑な事由が、そこにあるのかもしれないが。
確かに、フロントランナーとなるのは、とても難しいことである。誰も試みたことのない事に取り組み、学問を確立することの難しさは、容易に計り知る事ができよう。まず、研究テーマを考える事は難しい。どんなことに取り組めばよいのか。社会のニーズにもある程度応えないといけない。そして、成功する保証はない。新しい発見に至るまでには、多くの年月を要する事も少なくない。無駄に終わってしまう事もあるだろう。
そして、そういった研究は、概して、評価されない。ある程度の、成果を出さないと評価されないのである。そうすると、研究費がおりない。研究が続けられない。それゆえに、成果の出やすい、研究に甘んじてしまう。こうなると、到底、新しい学問等生まれない。最高学府としての名が泣く。
成果の出やすい研究と、最先端の研究を、上手く折り合いをつけながら、進めていけるとよいのかもしれない。演者は、大学で基金を作るべきだとも行っていた。確かに、独自に研究費を管理できれば、先進的な研究にもお金を割くことができるのだろう。
私は、博士課程には、進まず、企業に進むことを選択した。博士になる実力がない事もあるが、やはり、研究に将来性を感じなかったのも要因の一つである。夢のある研究に取り組みたいものだ。
2008年1月8日火曜日
同窓会☆
正月に同窓会に行ってきた。中学校全体の同窓会。成人式以来だから、実に5年ぶりとなる。
女の子なんかは、結婚していたり、子供がいてたりで、皆の身辺状況は大きく様変わりしているのだと
感じさせられた。
私はというと、まだ、学生。親のすねをかじらせて頂いている。でも、今年から、晴れて社会人。
楽しみでもあるが、不安も大きい。
それにしても、同窓会は楽しかった。中学の頃に、タイムスリップしたかのような感覚に捕らわれる。
彼らとともに、その当時の自分の姿も甦り、懐かしく、そして、せつない気持ちになった。あの時は、輝いていたなー。今もそうありたいものだ。
最後には、べろんべろんに酔っ払ってしまい、家に帰宅後、トイレで吐くしまつ。ここ数年、吐くまで、飲んだ記憶がない。それほど、心を許しているのかもしれない。成人式の日の同窓会でも、吐いてたし。もし、今度、同窓会がある時は、少しはセーブしないとなー。
それにしても、地元に帰りたい気持ちも強くなる。のんびりしているし。仕事の都合上、地元に帰る事は、まずないのだが。かつては、アンチ地元だったのに、180℃気持ちが変わってしまったのは、帰巣本能のせいか。しばらくは、外でがんばるつもりです。
女の子なんかは、結婚していたり、子供がいてたりで、皆の身辺状況は大きく様変わりしているのだと
感じさせられた。
私はというと、まだ、学生。親のすねをかじらせて頂いている。でも、今年から、晴れて社会人。
楽しみでもあるが、不安も大きい。
それにしても、同窓会は楽しかった。中学の頃に、タイムスリップしたかのような感覚に捕らわれる。
彼らとともに、その当時の自分の姿も甦り、懐かしく、そして、せつない気持ちになった。あの時は、輝いていたなー。今もそうありたいものだ。
最後には、べろんべろんに酔っ払ってしまい、家に帰宅後、トイレで吐くしまつ。ここ数年、吐くまで、飲んだ記憶がない。それほど、心を許しているのかもしれない。成人式の日の同窓会でも、吐いてたし。もし、今度、同窓会がある時は、少しはセーブしないとなー。
それにしても、地元に帰りたい気持ちも強くなる。のんびりしているし。仕事の都合上、地元に帰る事は、まずないのだが。かつては、アンチ地元だったのに、180℃気持ちが変わってしまったのは、帰巣本能のせいか。しばらくは、外でがんばるつもりです。
2008年1月5日土曜日
新年☆
あけましておめでとうございます。これからもよろしくお願いします。今年も、皆さんにとって、すばらしい一年でありますように。
以前は、何故か新年を迎えると、心が弾むようで、ワクワクしていた。
新学期が始まるのを楽しみにしていたし、今年一年の抱負なんかも考えていた。
今は、新年を迎えるのも、単なる年の変わり目で、今年も始まったかー
と思う程度。年とともに、感動も薄れていく。なんとなく、TVも冷めて見てしまう所がある。
いかん。いかん。やはり年を新たにするのだから、心気一転。心を入れ替えて、また今年も力強く生きよう。しんどいーなんていってられない。
ということで、今年の抱負は、『自信過剰』。普段、自信が持てない自分にとっては、少々、思い込みが激しい方がよいような。ある本に、思っていたとおりの事が起こるって書いてあったし、自分を信じて、今年一年も頑張ろう!前にも、こんな事書いたような。
今年の意気込みでした。
以前は、何故か新年を迎えると、心が弾むようで、ワクワクしていた。
新学期が始まるのを楽しみにしていたし、今年一年の抱負なんかも考えていた。
今は、新年を迎えるのも、単なる年の変わり目で、今年も始まったかー
と思う程度。年とともに、感動も薄れていく。なんとなく、TVも冷めて見てしまう所がある。
いかん。いかん。やはり年を新たにするのだから、心気一転。心を入れ替えて、また今年も力強く生きよう。しんどいーなんていってられない。
ということで、今年の抱負は、『自信過剰』。普段、自信が持てない自分にとっては、少々、思い込みが激しい方がよいような。ある本に、思っていたとおりの事が起こるって書いてあったし、自分を信じて、今年一年も頑張ろう!前にも、こんな事書いたような。
今年の意気込みでした。
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